今日は東京都美術館での開催中の展覧会、イサム・ノグチ 発見の道(Isamu Noguchi:Ways of Discovery)をご紹介します。
イサム・ノグチの彫刻芸術の内面に触れることができる展覧会です。
今回の展示は東京都美術館の3フロア構造を活用した3部構成になっています。
会場に入ってすぐのロビー階を第1章として1フロアづつ上に上がっていきます。
第1章 彫刻の宇宙
イサム・ノグチといえば、あかりシリーズを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
150灯のあかりのインスタレーション「AKARI CLOUD」があります。
この「AKARI」は1951年にイサム・ノグチが広島県の平和記念公園の橋を作る際に訪問した岐阜で、市長から岐阜の伝統工芸について相談された経緯で生まれた作品です。
「AKARI」のインスタレーションを中心に周囲にイサム・ノグチの1940年代から1980年代の彫刻作品がランダムにゆったりと配置されています。
展示室入り口正面に置かれた「黒い太陽(1967-1969年)」は、イサム・ノグチの作品を終生にわたり共に生み出した石工、和泉正敏さんが右腕になるきっかけになった作品です。
「ヴォイド(1971年)[鋳造1980年]」は個人的にとても好きな作品です。材質は鋳物ですがどこから見ても落ち着くというか安らぐ、そんな感じがする彫刻です。
このほか、いいなと思ったのが作品がこちらです。結局シンプルな造形が好みだということもわかりました(笑)
偶然にもどちらも「無題」で1988年頃、晩年の作品です。
そしてこちらがこの展覧会のタイトルにもなった「発見の道 Ways of Discovery(1983-1984年)」、他の作品と比べて小さい彫刻で、イサム・ノグチが80歳の時の作品です。80歳の時に何を想ってこのタイトルをつけたのでしょうか。
イサム・ノグチは1988年12月30日、84歳で逝去しています。その直前に残した言葉があります。
「私はあちこちさまよいました。しかし、それは単に昔のことではありません。これからも多くの展望が開かれているのです」《デーレ・アシュトン『評伝イサム・ノグチ』白水社、P352》
年を経てもなお、彫刻という創造の世界を生きていたイサム・ノグチの好奇心旺盛な生命力を感じることのできる言葉です。
このほか彫刻の宇宙での展示作品たちです。それぞれが個性があって、見ていて色々な想像の世界に入っていくことができると思います。
気分に合わせて見てまわったので、展示順とは異なります。散策みたいな見学ができるのもこの展覧会の特徴だと思います。
(第1章、第2章は写真撮影が可能です。)
幼年時代(1971年) 細胞有糸分裂(1962年) 小さなイド(1970年) 女(リシ・ケシュにて)(1956年) 不思議な鳥(1945年) 追想(1944年) 若い人(1950年) グレゴリー(1945年) 限りある命(1969年) 通霊の石(1962年) 書の流れ(1959年) 淑子さん(1952年頃)
第2章 かろみの世界
イサム・ノグチが「AKARI」を発表してから35年間で200種類以上の「AKARI」が作られました。
ロビー階から1つ上の1階では、第2章「かろみの世界」で、展示室の対角線上「AKARI」が展示されたコーナーがあります。
一方は床に置くタイプ、もう一方は吊るすタイプの「AKARI」です。
背景の紺色の壁に対して「AKARI」が浮かび上がる造形もアート作品のようです。
かろみの世界とは
イサム・ノグチは父親が日本人で詩人の野口米次郎(1875〜1947年)、母親がアメリカ人の作家レオニー・ギルモアで、アメリカで生まれ育ったものの、父の故郷である日本の芸術に影響を受けています。
ノグチにとって日本のは平明さの中に深い哲学を内包し、晩年に至るまで彼を覚醒してやまない伝統と文化を持つ国だったのである《イサム・ノグチ 発見の道 図録 P64》
かろみ=軽みは軽い感じ、軽い度合いのことで、俳人の松尾芭蕉が到達した俳諧の理念とも言われている。日常の素材を平淡にさらりと表現する姿
1958年以降、イサム・ノグチは1枚のアルミ板から1つの作品をつくるというルールで創作を始めた時期がありました。
第2章はアルミ板の作品を中心に展示されています。それぞれにユニークな名前がついていてテーマを思いながら360°回って見ると何か発見があるかもしれません。
「太った踊り子(1982-1983年)」なるほど・・
「びっくり箱(1984年)」
「かろみの世界」の展示の中に、軽やかなフォルムの作品が印象的に置かれています。きれいな艶のある赤い作品「プレイスカルプチュア(1965-80年頃)」は過去のイサム・ノグチの作品のオマージュとして2021年に製作されました。
プレイスカルプチュア=Play Sculpture=彫刻遊具は全国各地にあります。
今回の展示にはないのですが、北海道にあるブラック・スライド・マントラは有名なプレイスカルプチュアです。
「ブラック・スライド・マントラ」は1988年秋、イサム・ノグチが亡くなる直前にアトリエで完成し札幌市の大通り公園に配置されました。彫刻といってもこちらは遊具(すべり台)で、実際にすべることができます。
少し展覧会からそれますが、「ブラック・スライド・マントラ」にはモデル(原型)があります。1986年に開催されたベネチアビエンナーレに出店された「スライド・マントラ」です。現在はマイアミのベイフロントパークに置かれています。
イサム・ノグチは「ブラック・スライド・マントラ」についてこう言っていました。
「人が何回も上がったり滑ったりしていると、彫刻とはどういうものだか、ちょっとお尻の方からわかってくる」
お尻からわかる彫刻、イサム・ノグチの他にいたでしょうか。
第2章の作品の一部です。
第3章 石の庭
1つ上のフロア2階は第3章石の庭では、香川県高松市にある、イサム・ノグチ庭園美術館の世界が再現されています。
天然石が様々な表情を見せる作品と、庭園美術館の様子が大きなスクリーンに映し出されていました。
こちらの展示室は静寂な空気感を保つためか、写真撮影がNGです。ベンチに座って、イサム・ノグチの石の彫刻をゆっくり鑑賞することができました。
使用された石は見た目は似ていますが1種類ではなく、何種類もの石種が用いられました。
今回の展覧会ではイサム・ノグチの製作を支え続けた石匠の和泉正敏さんについても紹介がありました。
1964年に良質な花崗岩である庵治石の産地である香川県高松市牟礼町を訪れたイサム・ノグチは、素晴らしい技術と感性を併せ持つ石匠の和泉正敏さん出会い、以降は2人で作品を生み出してきました。イサム・ノグチは牟礼町にニューヨークとは別にアトリエと住居を構え、2拠点で創作をしました。
このアトリエ兼住居は、イサム・ノグチの逝去から11年後の1999年に、イサム・ノグチ庭園美術館として開館しました。イサム・ノグチ庭園美術館はニューヨークには既に存在しており、こちらはイサム・ノグチが生前の1980年に開館したものです。アーティストが生前に自身のコレクションを展示するために開館した美術館としてはアメリカ合衆国初でした。
イサム・ノグチの作品はこの2つの美術館でいつでも見ることができますが、今回の「発見の道」はその空気感を室内に再現している、新たな試みの展示でした。
展覧会・図録の記録
「イサム・ノグチ 発見の道 Isamu Noguchi:Ways of Discovery」の図録は、展示作品を全て掲載し、磯崎新氏、安藤忠雄氏、デーキン・ハート氏、松岡正剛氏の寄稿文、今回の展覧会のキューレーションを担当した、東京都美術館の学芸員、中原淳行さんの解説文があり、充実の内容です。
サイズは タテ300mm x ヨコ230mm x厚さ24mmというこだわりを感じる大型の図録になりました。
牟礼町を訪れることはなかなかできないので、図録をみて訪問した気分を味わいます。
東京都美術館について
- 所在地:東京都台東区上野公園8-36
- 交通:JR上野駅・公園口より徒歩7〜10分
- ロッカー:あり:コイン戻り式 ¥100(¥100コインお持ちください)
- 写真撮影:イサム・ノグチ展は2フロアは可能、1フロアは不可
- 一般駐車場なし
- 休館日はウェブサイトのカレンダーでご確認下さい。
イサム・ノグチの切手
展覧会とは別ですが、イサム・ノグチの切手がありますのでご紹介します。
2003年にアメリカで発行されたイサム・ノグチの切手シートです。
今回展示のあった『黒い太陽』と『AKARI 24N』があります。5種がランダムに配置されていて、モノトーンでデザイン性の高い切手です。
日本からは2004年に「平成16年文化人郵便切手」名称でイサム・ノグチの切手シートが発行されました。デザインのモチーフは、イサム・ノグチの肖像画と作品『真夜中の太陽』『Akari 1N』です。凹版1色、オフセット4色の印刷で、作画は国立印刷局工芸官の土器 一行さんです。
このブログでは美術館や身近にあるパブリックアート、休日の散歩情報などをご紹介しています。
Twitter、Instagramでは手のひらにのる小さなアート「1枚の切手」、街で見つけたアートを投稿しています。
フォローしてくださるとうれしいです!
Twitter @postio_marche
Instagram mylittleart_studio
外国切手のウェブショップ ポスティオ・マルシェ https://www.postio.jp/
コメント