今日は、東京都目黒区にある日本民藝館で2021年7月16日〜9月23日まで開催された「日本民藝館改修記念 名品展Ⅱ 近代工芸の巨匠たち」をご紹介します。
日本民藝館 大展示室がリニューアルオープン
2021年4月にメイン展示室となる「大展示室」がリニューアルしました。
2021年の台展示室リニューアルでは、壁紙を静岡県産葛布、床材を栃木県産大谷石に替えることで、1936年の創設時に近い空間になりました。
床が大谷石という美術館は特別ですね。贅沢な空間です。
正面奥に見えているのは黒田辰秋作『朱塗三面鏡(1928年)』です。
大展示室は2階にあり、こちらが順路1になります。
展示の章立ては9章
1. 近代陶芸の巨匠
バーナード・リーチ、富本憲吉、河井寛次郎、濱田庄司ら、近代を代表する陶芸家たちが作陶を始めます。彼らの前期〜中期の作品を中心に、木漆工芸家の黒田辰秋の作品を加えて展示しています。
2. 芹沢銈介の染色
1930年頃から型染を始めた芹沢銈介氏は、1931年に柳宗悦の依頼で『工藝』の装幀を手掛け、民藝運動に本格的に参画しました。着物や屏風などの染色作品を中心に紹介しています。
3. 産地に学ぶ
濱田庄司の沖縄など各地の民窯ごとに作品を展示しています。
4. 書物と装幀
芹沢銈介をはじめ多くの工藝作家が装幀に関わった『工藝』や作家自身の型染めや版画による冊子本、巻子本などの装幀です。
5. 棟方志功の版画
柳宗悦が高く評価した棟方志功の作品の中から1945年に富山に移住する前までの作品です。
6. バーナード・リーチ、河井寛次郎、棟方志功
第6章から1階に移り、戦後1946年以降、より精力的に活動を続けた3人の作品が展示されています。
7. 濱田庄司と芹沢銈介
8. 次代の陶芸家たち
島根県の舩木道忠(1900-1962年)研兒(1927-2015)、沖縄県の金城次郎(1911-2004年)、静岡県の鈴木繁男(1914-2003年)、栃木県の島岡達三(1919-2007年)、岡山県の武内晴二郎(1921-79年)らの次代を担う存在となった作家の作品が展示されています。
9. 次代の染色家たち
柳悦孝(1911-2003年)、柚木沙弥郎(1922-)、片野元彦(1899-1975年)、平良敏子(1921-)、宮平初子(1922-)の作品を中心に構成されています。
近代工芸・7人の巨匠について
バーナード・リーチ
イギリス人の陶芸家、画家、デザイナーで母方の祖父が日本で教師をしていたことから日本に縁があるアーティストです。
今回の展示ではリーチの作風がわかる作品が多数展示されています。
バーナードリーチはイギリスの切手に採用されていました。
バーナードリーチ(Bernard Leach 1887 -1979)
香港生まれのイギリス人で、幼少期を日本で過ごす。ロンドン美術学校などでエッチングを学び、1909年再来日。エッチングに入門した柳宗悦ら白樺派と親交を結ぶ。1911年に六代目尾形乾山に富本兼吉とともに入門、作陶を始める。1920年、濱田庄司を伴い渡英、コーンウォール州セント・アイヴスに日本風の登窯を築き、1922年にはリーチ工房を設立し、障害の拠点とした。西洋と東洋の陶技ウィ融合させた作風が特徴。《引用:日本民藝館名品展Ⅱ 近代工芸の巨匠たち 解説》
『バーナード・リーチとリーチ工房の100年
海とアートの街セントアイヴスをめぐる』
加藤節雄 著
リーチ工房の様子がわかり、イギリスを旅したくなる本です。
河井 寛次郎
31歳の時に「第一回創作陶磁展」を開催して以降、作品を発表しており、作風は初期と用の美の中期、造形の後期の3期に分けられます。京都府に自宅も設計しており現在は河井寛次郎記念館になっています。
河井寛次郎(Kanjiro Kawai 1890-1966)
島根県安来市生まれ。1910年に入学した東京高等工業学校(現・東京工業大学)窯業科で、2年下級の濱田庄司と交わる。卒業後は京都市陶磁器試験場に入所。1920年、五条坂に鐘渓窯を構える。東洋古陶磁の技法を駆使した雅やかな作品が好評を博すが、次第に自らの仕事に疑念を抱き、濱田を介して柳宗悦と親交を結び作風を一変。型作りによる簡素で重厚な形状と、色鮮やかな釉薬、躍動感溢れる文様が施されている。《引用:日本民藝館名品展Ⅱ 近代工芸の巨匠たち 解説》
『いのちの窓』
個性的な河井寛次郎は独創的な言葉や文章を残しています。「前篇 火の願ひ」「後篇 いのちの窓」「自解」の3編で構成されており、陶芸カテゴリーベストセラー1位の名著です。
『火の誓い』
美しい物に隠れている背後のものを求めての歩みを詩情豊かな文章で記した、土と火への祈りの書ともいうべき名エッセイ。
濱田 庄司
柳宗悦、河井寛次郎ともに民芸運動を推進した中心的存在の濱田庄司。日本民藝館には約450点の浜田庄司の作品が所蔵されています。
濱田氏も旧居を自らの仕事の参考とした蒐集品を展示する益子参考館(現・濱田庄司記念益子参考館)として開館しました。
濱田 庄司 (Shoji Hamada 1894-1978)
神奈川県川崎市生まれ。1913年東京高等工業学校(現東京工業大学)の窯業科に入学、上級の河井寛次郎と親交を結ぶ。卒業後は河井と同じ京都市立陶磁器試験場に入所。1920年にバーナード・リーチとともに渡英。セント・アイヴスで作陶。帰国後は栃木県益子へ居を移し活動の拠点とした。益子の土と釉薬を用いた作品が多く、流掛や赤絵、塩釉などの技法や糖黍文様を施した作品は、どれも力強く健康的である。《引用:日本民藝館名品展Ⅱ 近代工芸の巨匠たち 解説》
富本 憲吉
建築の素養がありロンドンに留学経験がある富本憲吉はウィリアム・モリスのアーツアンドクラフツの作品に現地で体感していました。のちに東京美術学校(現・東京藝術大学)や京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)の教授となり、教育者としても役割を果たした。
奈良県の生家は富本憲吉記念館を経て現在はホテル「うぶすなの郷 TOMINOTO」として公開されています。
富本 憲吉(Kenkichi Tomimoto 1886-1963)
奈良県生駒郡生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)図案科在学中から英国に留学、ウィリアム・モリスらの工芸思想を具現化した仕事に触れる。帰国後、バーナード・リーチと親交を結び、自らも作陶を開始、古陶磁研究を踏まえながら、楽焼、本焼き、磁器、染付、色絵、金彩、銀彩、といった陶技を展開。1955年には「色絵磁器」で第1回重要無形文化財に認定される。《引用:日本民藝館名品展Ⅱ 近代工芸の巨匠たち 解説》
芹沢 銈介
柳宗悦の依頼により1931年創刊の雑誌『工藝』の装幀を手がけることで、染色作家として民藝運動に参加するようになった芹沢銈介氏。日本民藝館には着物、帯地、屏風、のれんなど約200点の作品を所蔵されてています。
郷里の静岡市に「静岡市立芹沢銈介美術館」、宮城県仙台市には「東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館」があります。
芹沢 銈介(Keisuke Serizawa !895-1984)
静岡県静岡市生まれ。1916年、東京高等工業学校図案科を卒業。1927年、柳宗悦の独特な工芸論と琉球紅型の美しさに感銘して染色家になることを決意する。紅型と和染に学び、図案・型彫り・染めまでを一貫して行う「型絵染」の技法を生み出し、明るい色調と明快な文様を特徴とする作品を数多く生み出した。1956年に重要無形文化財保持者に認定される。《引用:日本民藝館名品展Ⅱ 近代工芸の巨匠たち 解説》
棟方 志功
日本民藝館には、版画(1942年以降、棟方は「板画」と表記)を中心に肉筆画や書など約200点が収蔵されています。柳の装案によって飾られています。作品と一体となった軸装や屏風の美しさは日本民藝館所蔵の棟方作品の特徴です。
棟方志功は20世紀を代表する世界的な版画家であり、国内でもとても人気があります。少年時代に「ゴッホになる」と芸術家を志たというエピソードもあります。
1973年鎌倉に「棟方板画美術館(2010年休館)」1975年には青森市に「棟方志功記念館」が開館しています。
棟方 志功(Shiko Munakata 1903-1975)
青森県青森市生まれ。1924年、画家を志して上京。1926年川上澄生の版画に深い感銘を受け、油絵画家から版画家へと転向する。1936年、国画会の出品作「大和し美し版画巻」が、柳宗悦や濱田庄司に注目され、開館を控えた日本民藝館の買い上げ作品となる。これがきっかけとなり、河井寛次郎を交えた民藝運動の指導者らとの交流が始まり、以後の作品制作に多大な刺激を受けていった。《引用:日本民藝館名品展Ⅱ 近代工芸の巨匠たち 解説》
黒田 辰秋
刳物(くりもの=ノミや小刀などで木を刳(く)り,彫って鉢などをつくる)、指物などの木工と乾漆、螺鈿などの漆芸を駆使して、重厚な独自の作風を確立し、1968年の皇居新宮殿のために「拭漆樟大飾棚」「扉飾」「椅子」「卓」を製作しました。
黒田 辰秋(Tatsuaki Kuroda 1904-1982)
京都府祇園生まれの木漆工芸家。漆芸界での分業制に疑問を持ち、素地制作から塗りまでの一貫制作を志す。河井寛次郎や柳宗悦らに影響を受けて1927年に上加茂民芸協団に参加。京都の老舗菓子舗「鍵善良房」をはじめ、京都の注文主の支えのもと活動。1970年に木工芸における初の重要無形文化財保持者に認定された。《引用:日本民藝館名品展Ⅱ 近代工芸の巨匠たち 解説》
『日本民藝館名品展Ⅱ 近代工芸の巨匠たち』は柳宗悦氏の審美眼と日本民藝館の丁寧な展示がとても印象的な展覧会でした。
日本民藝館について
日本民藝館は美術研究家で民族運動の主唱者であった柳宗悦氏によって1936年に開館した私設美術館です。
現在は公益財団法人日本民芸館が運営しています。開館から65年を経た2001年に財界からの支援を得て大規模な改修があり現在の施設の規模になりました。
本館とは別に道路を挟んだ向に西館があります。こちらは栃木県から移築された石屋根の長屋門と母屋からなる旧柳宗悦邸です。上の写真が門で普段は閉まっています。
日本民藝館開館の1年前の1935年に完成して柳宗悦が72歳で逝去するまで生活の拠点としていました。
期間を決めて月に4回(第2・第3水曜日、土曜日)開館日カレンダーに○がついている日に西館が公開されます。この日は全国から美大生や建築やデザインに興味のある人が訪れるので混雑します。
民藝という言葉には「民芸品」という地方のおみやげのようなイメージを想像してしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。
日本民藝館に行くと奥深さに感動すると思います。
次回の展覧会は10月1日〜『棟方志功と東北の民藝』が予定されています。
ぜひ時間をかけて見ていただければ幸いです。
日本民藝館 (The Japan Folk Crafts Museum)概要
- 所在地:東京都目黒区駒場4-3-33
- TEL 03-3467-4527
- 交通:京王井の頭線「駒場東大前駅」から徒歩7分
- ロッカー:ありません(受付で預かり可能)
- 写真撮影:展示室内は不可
- 一般駐車場なし
- 入館料:一般 1,200円、大高生 700円、中小生 200円
- 休館日:毎週月曜日、そのほかウェブサイトのカレンダーでご確認下さい。
柳宗悦(Muneyoshi Yanagi 1889-1961年)
1889年に現在の東京都港区で生まれる。1910年、学習院高等科卒業の頃に文芸雑誌『白樺』の創刊に参加。宗教哲学や西洋近代美術などに深い関心を持っていた柳宗悦は、1913年に東京帝国大学哲学科を卒業する。その後、朝鮮陶磁器の美しさに魅了され、朝鮮の人々に敬愛の心を寄せる一方、無名の職人が作る民衆の日常品の美に眼を開いた。そして、日本各地の手仕事を調査・蒐集する中で、1925年に民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、民藝運動を本格的に始動させていく。1936年、日本民藝館が開設されると初代館長に就任。以後1961年に72年の生涯を閉じるまで、ここを拠点に、数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集の旅、旺盛な執筆活動などを展開していった。晩年には、仏教の他力本願の思想に基づく独創的な仏教美学を提唱し、1957年には文化功労者に選ばれた。《引用:日本民芸館ウェブサイト》
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